港町焼津

 当社「株式会社寺岡銈吉商店」は静岡県の中部に位置する「焼津」で地元水揚げの焼津まぐろを使用した角煮の製造・販売をしています。
 私たちの街焼津は、日本有数の「さかなのまち」として知られ、古くから日本の水産業の大基地として発展してきました。現在でも遠洋漁業・水産物加工業の一大拠点となっています。
 焼津の漁港は、マグロ・カツオが水揚げされる焼津港と、サバ・イワシ中心に沿岸の鮮魚が水揚げされる小川港があります。
 全国にわずか13しかない特定第3種漁港として指定された特に重要な漁港で、日本屈指の水揚げ量を誇ります。

初代寺岡銈吉と【焼津のつくだ煮】開発秘話

 もともと、つくだ煮づくりというのは、その名が示すように、江戸時代に今の東京都中央区の佃島で始まったといわれています。当時は、いかなごなどの小魚や小エビ、あさり、昆布などを加工していた産業でした。その後、胡麻、しそ、イナゴなども使われるようになっています。

それがなぜ焼津のつくだ煮なのか?

 当社は大正五年、リアカーを押しながら街をまわる魚の行商から始まっています。
 店の名前ともなっている初代寺岡銈吉(けいきち)は行商のかたわら、焼津港に豊富に水揚げされるかつおやまぐろの山をみて、冷凍技術どころかまだ冷蔵庫もない大正から昭和初期の時代に、鮮魚を日持ちのする保存食として利用できないものかと考え、仲間と一緒になっていろいろ苦心の末にたどりついたのが、つくだ煮づくりの手法でした。
 しかし、ただ佃島の小魚類と違って、まぐろやかつおの場合は、魚体が大きいために魚をそのまま煮るだけでは煮崩れになってしまいます。そこで考えたのが、まぐろを茹でて燻製にしたなまり節とよばれる「燻製まぐろ」から、それを醤油や砂糖で煮る手法でした。試行錯誤を繰り返し出来上がったのが【焼津つくだ煮】です。これこそが焼津に引き継がれる、かつおやまぐろのつくだ煮の伝統製法です。完成までは数年を要したと伝えられる文書が残っています。(焼津水産史より)
 煮崩れを防ぐことが目的の製法でしたが、実はこれが思わぬ副産物を生み出します。なまり節の手法を利用したことで、燻製に由来するほのかな燻しの香りもまた独特の風味を生み出し、これもまたつくだ煮に新しい味わいを付け加えたのです。
 寺岡銈吉達の考え出したこのかつおやまぐろの佃煮は、またたく間に港町の評判になり、以来【焼津のつくだ煮】といえば、かつおやまぐろを使った佃煮として独自の発展を遂げることになりました。
余談ですが、初代銈吉は、言い伝えによれば、よく言えば厳格な職人で、今どきの言葉に翻訳すると「パワハラ」もどきの厳しい指導の人だったそうです。その初代の厳しい指導に耐えた二代目増太郎【私のおじいちゃん】は私にとっては、それとは真逆のやさしいお爺ちゃんで、昔はとってもハンサムな職人でした。市場に手を引かれて参加していたセリを見に連れていかれたり、一緒にお風呂に入ったりいい思い出がいっぱいです。